「家へ帰ろう」

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〔2017年/スペイン〕


アルゼンチンで暮らす、
仕立て屋・アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)は、
頑固で、わがままな88歳の爺さん。
彼は、脚に疾患を抱え、
明日、老人施設に入る事が決まっている。


けれど、突然、
ある決心をして、彼は家から抜け出す。
空港に行き、
スペイン行きのチケットを買う。


70年以上前の事・・・。
ユダヤ人のアブラハムは、
ナチスドイツに連行されるも、途中で逃げ出し、
瀕死の状態で、自宅に辿り着いた。


そんな彼を身を挺して匿ってくれた、親友・ピオトレック。
どうしても、
ピオトレックに会いたい。
そして、自分が仕立てたスーツを届けたい、
それがアブラハムの最後の願いだった・・・。





年に何本も作られれる、
ナチスドイツをテーマにした映画。


その殆どは、
辛く、痛ましいか、
緊張感に満ちているんだろうけど、
この映画は、現代劇で、
コミカルでクスクス笑える要素がたくさん。


もちろん、過去の悲痛な思い出も、
回想シーンとして流れるんだけれど、
その時間はそれほど長くはなく、
あとは、行間を読んでくださいとでも言いたげだ。


行間を読む、といえば、
このアブラハム爺さんは、
普段から、
「ポーランド」という単語は、
もう、絶対絶対、発声しない。
そんな忌まわしい言葉、
口にするのも汚らわしい、とでも言わんばかりに。
で、どうするのか、というと、
紙に書いた「ポーランド」の文字を見せる。
説明はなくとも、
いかに、辛い思い出があるかが察せられる。


で、爺さん、
88歳で、脚はもう切断寸前にまで、
酷い状態になっているのに、
たった一人で、親友・ピオトレックに会いに、
アルゼンチンから、
そのポーランドまで行こうと決心する。


それはもう、無謀としか言いようのない旅なのだけれど、
彼はなぜか女性運が良く、
途中でピンチになると、
必ず、手を差し伸べてくれる女性が現れる。


その出会い方は、とても自然で、
全然違和感は感じないのがいい。
私だって、言葉さえ通じたら、
お手伝いしたいと思ってしまうくらい。


それから、ヨーロッパを縦断するのに、
これも、もう絶対、
ドイツの地だけは、一歩も踏みたくないと、
それはそれは頑なに言い張る。


ただ、現実問題、ドイツを通らずに、
スペインからポーランドに行く事は不可能。
そこで取った、彼の手段というが・・・笑える。


様々な困難を乗り越え、
やっとポーランドに着いた爺さん、
親友・ピオトレックに会えるか、会えないのか。
それはもう、絶対ここには書かないけど。


評価 ★★★★☆

この記事へのコメント

  • 美美

    年明けの記事に早々のコメントありがとうございます。
    今年もどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>
    2019年01月09日 17:07
  • 英ちゃん

    ドイツを通らずに、スペインからポーランドに行く事は可能かも?
    回り道になるけど?
    てゆーか、どうやって行ったんだ?
    2019年01月09日 17:46
  • JUNKO

    見たい映画です。
    2019年01月09日 19:53
  • 青山実花

    美美さん
    コメントありがとうございます。

    こちらこそ、いつもありがとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。
    2019年01月09日 20:08
  • 青山実花

    英ちゃんさん
    コメントありがとうございます。

    そう、どんなルートでも
    遠回りすれば行かれるのですよね。

    ただ、このアブラハム爺さんのやり方は、
    まるで一休さんの頓智のようで・・・(笑)。
    2019年01月09日 20:09
  • 青山実花

    JUNKOさん
    コメントありがとうございます。

    とてもいい映画でした。
    JUNKOさんにもぜひ観てほしいです^^
    2019年01月09日 20:10
  • 裏・市長

    ・・・ゴホッ、ゴホッ・・・。

    ワシももう後期高齢者じゃからのぅ・・・。
    人生の仕舞い方・・・というのを
    常に考えておる日々なのじゃ・・・。

    あまり悔いのない人生を送ってきたつもりじゃが、
    一つ心残りな事があるのじゃ。

    あれは小学一年生の時じゃったのぅ・・・。
    当時、ワシは大和高田市民ではなく、大阪市民じゃった。
    北松尾小学校に通っておったのじゃが、
    父親が働いたら負けという思考の人間じゃったので、
    常に暮らしが困窮しておった。

    あまり学校へも通えんかったのじゃ。
    通うたら給食費を払わんといかんからのぅ。

    そうしとったら担任の先生が家庭訪問に来たのじゃ。
    先生は「これでお米を買い」と5.000円札を
    置いていったのじゃ。

    母親に言うたら、これは返さんとイカン!と
    なったのじゃが、結局甘えて使わせてもろうた。

    その時の5.000円がなければ、
    こうしてワシは今、
    呑気にブログをやっとられんかったかも知れん。

    いつも心のどこかで、あの5.000円はいつか
    お返ししないといけない・・・と思い続けておる。

    しかし、会いに行こうにも手掛かりがない。
    「かつらぎちえ」という名前しか覚えておらんのじゃ。

    その当時でも、すでにおばあさんじゃったからのぅ、
    すでにこの世にはいないかも知れんのぅ・・・。
    2019年01月10日 04:46
  • 青山実花

    裏・市長さん
    コメントありがとうございます。

    確かに、後期高齢者にもなりますと、
    今のうちに、
    会いたい人に会っておこう、という気持ちになりますわね。

    そうですか、
    かつらぎちえ先生をお探しですか。

    もしかしたら、先生は、
    裏・市長さんが思っているほど年配ではなく、
    「おばさん」くらいだったかもしれません。

    ほら、子供の頃って、
    大人が、すごく大人に感じられたでしょう。
    だから、もしかしたら、
    今でもお元気でお過ごしかもしれませんよ。

    どこかで調べる事はできませんかね。
    もしなら、ご協力いたしますわ。


    わたくしも、
    中学3年生の時の、
    担任だった「すずきよしこ先生」に、
    会いたいんですの。

    先生とは年賀状のやり取りをしているので、
    住所は分かっているのですが、
    中々お会いする機会がないまま
    今日まできてしまいました。

    「先生に会う」を
    今年の目標にしようかしら。
    2019年01月12日 00:18